ついこないだ、
ある方がこんなことを言っていた。
「そのままの自分でいいんだと
自分を認められた時から
人生の流れが好転した」
このままの自分じゃダメだと思って
誰かを羨んだり、
自分のダメなところばかり見ずに
そのまんまの自分を認めてあげること。
それってすごくすごく
大切だなぁって思うんです。
そんなことを思うエピソードが一つあって
今回は私の泣き虫エピソードを
話したいと思いますにひひ
以前、ブログでも書いたけれど
私はもともと泣き虫だった。
それも泣く場面で泣くなら分かるけど
全然泣く場面じゃないのに昔から泣いてた。
自分のことを話すのが昔から苦手で
あまり話せなかった私は自分のことを
話す場面ではかなりの確率で泣いてた。
あまりにも泣くから周りに迷惑がかかるし
自分も泣いてばっかで恥ずかしい。
そんなことを思って自分のことを
どんどん話せなくなっていった。
ある時、人から
「泣くのは浄化の作用なんだよ」
って聞いた。
泣く=悪い
って感覚があった私はその言葉を聞いて
泣くことの概念が変わった目
泣く=「ナニカ」がある
そんな解釈に変わった。
それからは泣いてもいいから
自分を出すようにした。
そしたらまぁ、ひたすら泣いたにひひ
泣いて泣いて泣いて‥
聴いてくれた人には本当
迷惑かけたなぁって思う。
でも、
泣きながらも自分のことを話すことを
してから、不思議と泣かずに自分のことを
話せるようになった目
最初は驚いた。
しばらくしたら忘れてて。
またしばらくしたら
「あれ?泣き虫解消されてないか?」
って気付いた。
忘れるほどにすっかり解消されてたひらめき電球
「泣くのは浄化の作用」
「泣く=「ナニカ」がある」
これは本当だなぁって思う。
そして今思うのは今まで泣いてたのは
いつも自分を出さずに閉じ込め続けていたから
出せたのが嬉しくて泣いてたんだなぁって思う。
原因不明の涙にもそんな意味があったんだなぁ。
教えてくれてたんだなぁって。
そう思えたら長年悩まされ続けたけど
感謝の思いがたくさんでてきた。
最初に書いた
「そのままの自分でいいんだと
自分を認められた時から
人生の流れが好転した」
この言葉を聞いてそう言えば
泣いてしまう自分でもいいんだと
認めて受け入れてから流れが変わったなぁ。
楽に生きられるようになれたし
楽しくなったなぁって。
そんなことを思い出しましたニコニコ
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泣くことは周りに迷惑をかける
だからいけないことだと思ってた。
でも「泣くのは浄化の作用」
その言葉を聞いて
泣くことの概念が変わった。
泣くってことは
自分の中で「ナニカ」があるから。
だから出してあげよう。
泣きたい時は泣こう。
ブログvol.138

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